山菜の庭とは|自然の時間を持ち帰る庭づくり
- 15 時間前
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庭をつくるとき、植物を「植える」という行為から少し距離を置きたくなることがあります。
それは、自然の中で感じる豊かさが、単なる植栽では再現できないと感じるからです。
山で出会う山菜たち。
それらは誰かに育てられたものではなく、土地の時間とともにそこに在ります。
「山菜の庭」は、それを持ち帰る試みです。

山菜を育てるのではなく、環境をつくる
山菜は、一般的な園芸植物とは少し違います。
日陰、湿度、土の柔らかさ、落ち葉の層——
そうした条件が揃って、はじめてそこに現れる存在です。
つまり、必要なのは「植えること」ではなく、
その植物が現れる環境を設計することです。
つまりこの庭では、植物を「配置する」のではなく、その植物が現れる環境を整えます。
そのために、土の中に空気と水の通り道をつくり、わずかな起伏によって水を溜めたり、流したりする必要があります。この庭では、水を排水するのではなく、土地の中で循環することを考えています。

山菜の庭とは何か|食べるための庭ではない理由
山菜というと「収穫」が目的になりがちです。
ですが、この庭では少し違います。
ここで目指しているのは、
食べるために育てることではなく、訪れる理由になる風景です。
春にはカタクリが静かに咲き、
初夏にはコゴミがゆっくりと葉を広げる。
その変化の中に身を置くこと自体が、体験になります。
その土地の呼吸を整えることが、山菜の庭の出発点になります。
土地の記憶を再構成する
山菜は、どこでも同じように育つわけではありません。
その土地の水の流れ、光の入り方、土壌の構造——
すべてが関係しています。
だからこの庭では、
「どんな植物を植えるか」よりも先に、
その土地の記憶をどう読み取るかを考えます。
時には、鹿に食べられることも含めて設計する。
それもまた、この環境の一部として受け入れる考え方です
山の中で見られる環境の断片(林床・沢・林縁など)
山の時間を持ち帰るということ
都市の庭は、どうしても人の管理の中にあります。
整えられ、コントロールされ、維持される空間です。
その中に、ほんの少しだけでも
「山の時間」を持ち込むことができたらどうなるか。
急がず、競わず、ただそこに在る時間。
山菜の庭は、
そうした時間の流れを感じるための装置でもあります。
山菜の庭の設計について
現在、山菜をテーマにした庭の構想・設計を進めています。
ご興味のある方は、下記のページもご覧ください。
この考えかたに共感していただけた方へ
山菜の庭は、一般的な庭づくりとは少し違います。
そのため、まずは対話から始めています。
未完成のまま、はじめる庭
この庭は、完成することを前提としていません。
むしろ、時間とともに変化し続けることを前提にしています。
山菜の庭とは、
自然を再現することではなく、
自然との距離を少しだけ近づける試みです。














